第57回日本薬剤師会学術大会

  • 2024.9.22(日)-23(月・祝)
  • 大宮ソニックシティ/さいたまスーパーアリーナ/パレスホテル大宮

特別企画

おおくのエピソードをご応募いただき誠にありがとうございます
厳正な審査により優秀賞3点を発表いたします

優秀作品

また、ご応募いただきました作品のなかから選りすぐり掲載いたしますので是非ご覧ください

その他の作品

題名:LINEを活⽤したフォローアップ事例

アトム薬局で勤務している薬剤師として、ある⽇、溶連菌感染症と診断された⼦どもの患者さんを対応しました。抗⽣物質を処⽅されたため、LINEを⽤いた副作⽤チェックを⾏いました。
初回のチェックは処⽅後2〜3⽇⽬に⾏い、患者さんの保護者から「特に問題はありません」との報告を受けました。しかし、2回⽬のチェックを8⽇後に⾏った際、保護者から「薬を服⽤後、発疹が現れた」との報告があり、LINEで発疹の写真も送ってもらいました。
元々処⽅医と「薬疹の症状の場合は中⽌するよう伝えてOK」と事前に約束していたため、私は写真を確認し、薬疹と判断しました。そのため、すぐに服⽤を中⽌するよう指⽰し、その後、医師に報告しました。医師からは、他の適切な薬剤に切り替える指⽰が出され、患者さんの症状は改善されました。
この経験を通じて、LINEを⽤いた副作⽤チェックの重要性と有効性を改めて実感しました。特に、⼦どもの患者さんの場合、迅速な対応が求められるため、保護者とのコミュニケーションツールとしてのLINEは⾮常に役⽴つと感じました。今後も患者さんの安全を最優先に、適切なフォローアップを続けていきたいと思います。

お名前・ペンネーム:
江⼝武幸

題名:朱に染まった⼤⼭

その⼈が画家だと知ったのは地元の新聞記事であった。Sさんが個展を開催したというもので菩薩が描かれた絵の写真と共に掲載されていた。しばらくしたころSさんの奥さんが薬を取りに来られた。新聞の記事を⾒たこと、朱で描かれた菩薩が印象的だったと奥さんに話した。次の個展には案内状をお持ちしますね、と奥さんは帰られた。季節が変わった数か⽉後、個展は開催された。気になることがあった。数⽇前からSさんに強い痛み⽌めが処⽅されていたのである。
会場に⼊ったとき僕は絵から漂う会場の雰囲気に圧倒されてしまった。すべての絵が⽣命⼒にみなぎる⾚い朱で描かれていたからである。それは⼈⽣の賛歌であり超⾃然的な命の恩寵であった。奥さんの呼びかけに控室からゆっくり出てこられたSさんは僕に絵を⼀つずつ丁寧に解説してくれた。⼀か⽉後、Sさんは亡くなられた。
先⽇、奥さんが処⽅せんをもって来られた。帰り際、絵を⼀枚もらってほしいという。僕なんかにもったいないと固辞したのだが、どうしてもという。絵が⼊った箱を開けると⾚く朱に染まった⿃取の⼤⼭があった。
この絵を⾒るたび、Sさんが朱に託した命の鮮烈な⼒強さを感じるのだ。

お名前・ペンネーム:
中森 慶滋

題名:かかりつけの患者さんを看取って

⼤抵の在宅訪問業務が病気を患った患者さんの退院時か、要介護状態となった⽅のケアマネージャーが薬局に依頼をかけてくることから始まることでしょう。地域における⾯分業を掲げる当薬局では、これまでに私たちをかかりつけとしてくれていた患者さんが外来通院を困難となったことをきっかけに在宅訪問に切り替わった事例があります。いずれも、既にかお馴染みということもあり、在宅業務導⼊時は他の介⼊事例と⽐べてもスムーズに意思疎通が⾏え、ストレスなく業務に取り掛かることができました。その中の⼀⼈は⼼疾患の他にも認知機能の低下も⾒られたのですが、いつも穏やかに迎えてくれました。新しい実務実習⽣がくるたびに同伴して訪問すると、学⽣たちとも楽しくおしゃべりをしていました。旦那さんに先⽴たれ、息⼦さんも遠⽅ということで、私や地域包括⽀援センターの職員さん、訪問看護師さんらとの時間を楽しんでいるように⾒えました。しかし、症状が進み、⾜などに浮腫みが⾒られたり息苦しそうな様⼦を⾒せたりすることも増えてきました。そして、その⽇の朝、訪問看護師さんが訪れた時には最後の眠りについていました。たまたま息⼦さんの訪問時に私が薬を届け、最近の様⼦についてお伝えしたこともあり、かかりつけ薬剤師としての職務は全うしたと⾃負しております。その⽅には私に仕事をさせてくれてありがとうございましたと今でも感謝の気持ちが絶えることはありません。

お名前・ペンネーム:
⽵⽥ 恒⼀

題名:患者とのかけがえのない出会い

薬剤師1年⽬、投薬をし始めたばかり。
簡単な処⽅で患者さん慣れさせている頃の話。
なんの薬だったかは忘れてしまったが、塗り薬単剤のみの処⽅。使⽤部位は「胸」。80 代の⼥性。
◯◯さ〜ん、お呼びすると⼩柄で可愛らしい⽅がニコニコしながらカウンターまで出てきてくれた。
お話を聞いていると汗でかぶれたとのこと。使⽤部位が「胸」だったので下着との接触でかぶれたかな︖と思っていたら、おもむろにシャツの裾を捲り上げ、胸をあらわにして「ほらここがかぶれたのよ︕」と説明してくれた。シャツの下は下着をつけていない状態で、他⼈の胸をこんなにマジマジと⾒て良いものかと新⼈の私はドキドキしていたが、そんな私はスルーして話は続く。
⻑年⽣きてきたら胸が垂れてね。垂れた胸と肋⾻に汗が溜まってね、こんなになったの︕と垂れた胸を持ち上げ、かぶれている部位を⾒せてくれた。そうこうしているうちに不意にもう⽚⽅の胸がないことに気づいてしまったが、それには触れずにいた。が、それにも⾃ら話を持っていく。昔むかし戦争で鉄砲でやられたとのこと。だから私にはこっちの胸しかないんだけど、まさかこんなに垂れるなんてねぇ。それでこんなになるやったらこっちの胸もなくても良かったのにねぇ、と⼤笑いしながら話していた。
当時、とても⾟かっただろうに笑いながら話す姿をみて、私は尊敬の念を抱いた。⼈は第⼀印象だけで分かるものではない。その⼈にはその⼈の隠されたヒストリーがある。患者さんには威圧的な⼈、物静かな⼈、我儘な⼈、潑剌とした⼈など様々。その背景には本⼈しか分からない、隠された部分を誰しも持っていると思う。
「薬剤師」対「患者」ではあるがやはり「⼈」対「⼈」。私の投薬スタイルはそこから築き上げられ、薬の説明だけでなく、その⼈の⼈⽣と付き合えることができるように⼼掛けてきた。
簡単な処⽅であったが、かけがえのないことに気づかせてくれたこの患者に深く感謝する。
現在、薬剤師23年⽬。まだまだ⼈との交流は続く。初⼼を忘れずにこれからも頑張っていきたい。

お名前・ペンネーム:
⼤久保 紗世⼦

題名:コロナ感染症と薬剤師

⻑かったコロナ渦が明け、コロナ感染の分類も5類になりました。
薬局の仕事もコロナ渦前のようになりつつあります。
私の薬局はコロナ感染で⾃宅療養の⽅に処⽅薬を届けていました。その中で特に記憶に残った私の体験と感想を少しだけ書き留めておきたいと思います。
配達は午後と夜間の2回出ました。移動⼿段は⾞、⾃転⾞、徒歩と場所によりいろいろです。近頃はマンション、アパートに表札をつける⼈は少なくなりました。
クリニックから頂く住所にマンション名の記載はほとんどありません。届け先のマンションに住所が表⽰されていることもありませんでした。電柱に⼤まかな表⽰があれば良い⽅です。
国産メーカーのカーナビは優秀でほぼ⾃宅前まで案内してくれます。しかし、新しい住宅は表⽰されません。携帯のグーグル地図、ゼンリンの紙の地図が強い味⽅です。夜間の配達には懐中電灯が必須です。新しい家は私道があり、私道に街灯はなく真っ暗です。暗い夜道を懐中電灯で⼀軒⼀軒表札を確認してお届けします。場所がわからない時は電話連絡しますが、出てもらえないこともあります。⾼齢者宅は家の固定電話が多く、いたずら電話防⽌対策で電話に出てもらえません。しばらく待つと、着信を確認した患者さんからリダイヤルしてくれて薬は無事届けることが出来ました。
個⼈情報保護の観点から、近所の⽅に聞いたり、⾃宅があっているか確認しないでインターフォンを押すことは当たり前ですができません。
家庭内感染になると、同じ⽇に2度配達や連⽇配達の家もありました。
軽症の⽅は本⼈が出てこられます。私⾃⾝の感染予防からかなり距離を保っての服薬指導になり、苦慮しました。患者さんは⼼細くなるのでしょう電話での相談も沢⼭受けました。お⼀⼈で部屋にいると、誰かに聞いてほしい、話しをしたいと電話をしてきます。内容は様々です。
隔離期間、病状、感染予防など相談窓⼝も忙しく対応できず薬局に聞いてきました。
隔離が終わり、元気になって来局され、「ありがとう、元気になりました」の⼀⾔を頂きます。届けて良かったと思うひとときです。
5類になってもまだまだ感染する⽅、後遺症に悩む⽅も⼤勢いらっしゃいます。これからも寄り添う気持ちを⼤切に、感染が落ち着き平穏になることを願うこの頃です。

お名前・ペンネーム:
藤⽥ 照⼦

題名:少しのお節介

駅近くで調剤を主にする薬局を開設して30年以上になります。
私が⻑く薬剤師の仕事をしていて喜びは患者さんからの「ありがとう‼」の⼀⾔です。私の記憶に残っている「ありがとう‼」を振り返ってみたいと思います。
メンタルの処⽅箋を持ってきた40代の⼥性の患者さんは、お薬⼿帳に婦⼈科の薬が書いてありました。聞くと「内膜症」とのこと。病院が遠く通院に時間がかかると相談され、近隣の開業医さんを紹介しました。しばらくして、貧⾎がひどくなり、ご主⼈と相談して紹介したクリニックに⾏ったそうです。貧⾎がひどく、病院を紹介され、即⼊院‼検査をしたら悪い病気が⾒つかり⼿術になったそうです。無事退院され、薬局にきて「ありがとう︕」
50代男性、お腹にガスがたまっていると処⽅箋を持ってきました。専⾨外の先⽣のクリニックなので、消化器の専⾨クリニックが近くにありますよと、お節介‼数時間後、処⽅箋もって再来、「全て薬は中⽌。⼊院か絶対安静に」肝臓が⼤変な事になっていました。「ありがとう︕」
60代⼥性、頭の上が痛いと脳外の処⽅箋を持って来ました。脳には異常がないので、痛み⽌めの処⽅だけ。「ぷつぷつ出てきたらすぐに⽪膚科へ」とお節介︕次の⽇⽪膚科の処⽅せん持ってきて、帯状疱疹と診断され「早く専⾨医に⾏けてありがとう︕」
貧⾎の薬を⻑く飲んでいる⼥性には、「貧⾎の原因は︖調べた︖」婦⼈科は敷居が⾼く⾏きにくい科です。ちょっと肩を押してあげると、隠れていた病気がありました。「ありがとう」
がん検診にもお節介‼検診に⾏ってね、家族の病歴を知っているからお節介‼
夜尿症のパンフレットを⼿に取ったお⺟さんに専⾨病院を紹介して、改善してありがとう︕︕
反省もあります。「お薬⼿帳」に便秘の薬を⻑く服⽤の記載のある患者さんに「内視鏡検査受けていますか︖」この⼀⾔が⾔えなくて、悪い病気が進⾏して⾒つかりました。
認知が進んでいる患者さんの家族の連絡先が分からず連携が上⼿に⾏かないこともありました。
まだまだあります。認知症の相談、薬剤師が常識と思っていることが患者さんには伝わっていないことがあります。少しのお節介が悩みや受診相談になっています。
勉強して、「ちょっとお節介‼」続けていきたいと思います。

お名前・ペンネーム:
藤⽥ 照⼦

題名:「柿のおばあちゃん」と「真っ⿊先⽣」

そのおばあちゃん(Kさん)には、私が薬剤師になって4年⽬の頃に出会った。
初めて出会った⽇、私はハワイ帰りで真っ⿊に⽇焼けをしていた。そんな私にKさんは「真っ⿊先⽣」とあだ名とつけ、薬局に置いてある投書箱に⼿紙を投書した、「医療従事者たるもの、真っ⿊は不潔です」。次の⽇、私が勤めていた会社の就業規則に「⽇焼け禁⽌」の⽂字が追記された。
2年後、私はKさんのいわゆる「かかりつけ薬剤師」になっていた。この頃からKさんは薬局で「柿のおばあちゃん」と呼ばれるようになっていた。毎回、⾃宅の庭で育てている「何か」を持ってきてくれるのだが、その中で唯⼀どうしようもなかったのが「柿」だった。重い、苦い、固い・・、効率的な⾷べ⽅がわからなかった。ただ、私は「柿はもういいです」とは⾔えなかった。
柿に悩むようになってから3年後、Kさんからこんな質問を受けた、「この薬、何の薬だっけ︖とても効くのよ」。確認すると、それはおでんに使う「からし」で、Kさんの⾜指は鮮やかな⻩⾊に染まっていた。「おでんのからしだよ」、私がそう告げるとKさんは「すごい薬ね︕」と驚愕した顔で帰っていった。後⽇、ご家族より、Kさんが好んで柿にからしを塗って⾷べていることを伺った。からしを塗って⾷べていることより、どうやってあの柿を⾷べているのか、私の頭の中を⼤きな疑問が埋め尽くした。
3年後、Kさんは介護施設で過ごしていた。私が伺うと、毎回地響きのするような⼤声で「真っ⿊先⽣が来たよ︕」と叫び、結果、私は他の⼊所者の⽅からも「真っ⿊先⽣」と呼ばれるようになった。その介護施設には柿がびっしりと吊るされていた。「⼲し柿」、それは正に私が求めていた答えだった。
ある⽇、Kさんのご家族から私に連絡があった。あと3⽇で90歳の誕⽣⽇を迎えるはずだったKさんが亡くなったことを知った。コロナが⼤流⾏していたが、ご家族の強い要望もあり、私はお別れの⾔葉を伝えるためにご⾃宅へ伺った。ご⾃宅の庭には⽴派な柿の⽊が神々しく聳え⽴っていた。Kさんの思い出話に浸っていた時、ご家族からKさんの遺⾔状を⾒せられた。そこには「柿の⽊と栗の⽊は真っ⿊先⽣にあげること」と書かれていた。Kさんにとって私は最後まで真っ⿊先⽣だった。柿のおばあちゃん、私の名前を知ってたのかな︖この先も答えは⾒つからない、ただ、私は2種類の名前を持ち続けることを決⼼した。

お名前・ペンネーム:
M.N

題名:薬剤師って最⾼!!

まだ在宅訪問を始めて間もない頃の患者さんとのエピソードです。70歳代で奥さんと⼆⼈暮らし。住所を頼りに家を探したのですがすぐに⾒つからず右往左往してようやくたどり着きました。訪問することを電話で連絡してあったので、「薬局です。失礼します。」と⾔って引き⼾の⽞関を開けると、患者さんと思われる無愛想な男性に「来たのか」と⾔った表情をされました(後からわかったがパーキンソン病を煩っているので表情は乏しいのでしかたがないんです)。そこに奥さんが来て「どうぞ」と⾔ってくれました。初回訪問はどんな患者さんなんだろう、優しい患者さんだといいなと思い、いつも緊張します。奥さんの顔を⾒てホッと胸をなでおろして家に⼊ります。いろいろ話を伺ったのですが印象に残っているのは、副作⽤を伺っている時の話です。ドパミンを服⽤していたので何か⾒えたりしませんかと質問したところ、「いろんなものがみえるよ。よく猫ちゃんがいっぱい⾒える。」と⾔われました。私は「そうなんですか」と少し気の毒そうな表情で返答したところ、「でもね、猫ちゃんがいっぱいいるから寂しくないんだよ。」と付け加えられました。私はびっくり。副作⽤を前向きにとる患者さんもいるんだと思いました。拘縮が起きていないか確認するために⼿を握ったところ冷たいんです。そのため、それ以降、⼿をさすりながら話をするようにすると、「先⽣の⼿は温かいね」といって微笑んでくれます。パーキンソン病のために表情は乏しいのですが精⼀杯微笑んでくれるのがわかります。状態のよい⽇が1週間続いたことを聞いたので、「このところ調⼦がよいみたいですね」と伝えると、⼩さな声で「薬のせいかな、あなたがよくしてくれるせいかな、どっちかな。」とつぶやかれました。薬剤師をやっていて本当によかったと思えた瞬間でした。

お名前・ペンネーム:
しまちゃん

題名:積極的傾聴のすすめ

40歳代、男性、⼩腸がん。
⼣⽅にモルヒネ坐薬の処⽅せんが届き、⾄急届けて欲しいと⾔われました。住所と電話番号だけを聞いて薬局を後にしました。患者さん宅についてベッドサイドに伺うと、患者さんであるご主⼈は鎮静剤を投与されお休みになっていました。
何も情報を持ち合わせていなかったので、奥さんから話を伺いました。発症から現在までの様⼦を伺っていました。⼆⼈の会話で⽬を覚ましたご主⼈はうつろな⽬で奥さんにペットボトルを持って来るように指⽰しました。そのペットボトルには凍った⽔が⼊っていました。何に使うのだろう、腋窩にでもいれるのだろうかと思いました。ご主⼈は⽬を覚ますためにそれを⾸に当てたのです。そして⽬を⾒開いたのです。私はびっくりして直⽴不動で⾃⼰紹介をしました。それからご主⼈は宅急便会社に勤務していたこと、そして、配達先で倒れて⼊院となりそれから闘病⽣活が始まったこと、その後病院で出会った医師の話等たくさんの話をしてくれました。1時間くらい経ったところで奥様が、「薬剤師さんも忙しいのだからもうこの辺にしましょう。」と⾔われました。私は薬代として〇〇円の請求をしたところ、「えっ︕それだけでいいの︖話を聞いてもらった分のお⾦は払わなくていいの︖」と⾔われました。
⾃分にはとても衝撃な⼀⾔でした。患者さんは話を聞いてもらうことに対して対価を払ってもよいと思っているのです。それからは特に初めて訪問した患者さん宅で話を聞くことに専念しています。もちろん、薬に関することの他、薬学管理上聞かなければいけないことは聞きますが、そのほかは傾聴に徹します。患者さんは⾃分のことを知ってもらいたいのです。特に余命の短い⼈はその傾向が強いです。⼈は必ず死にます。それはしかたのないことです。でも、⾃分がこの世にいたことを少しでも多くの⼈に知っていて欲しいのです。⽣きた証を残したいのです。どうか皆さんも積極的に患者さんの⾔葉に⽿を傾けてください。必ず患者さんと固い絆で結ばれます。患者さんが天国へ召された後、その患者さんと話したことを思い出してください。⽬をつぶって⽿を澄ますと「ありがとう!!」 という⾔葉が聞こえてきます。

お名前・ペンネーム:
しま兄

題名:どんな歌を歌っていたの︖

ポケットに⽚⼿を突っ込んで、細⾝の⾝体を軽く揺らしひょうひょうとした歩き⽅で薬局の前の道を歩いていた遊び⼈⾵のS男さん。時々、⻭科や⽪膚科の処⽅を持って来られ、薬を待っている間に、他愛もない話をいつも軽いタッチで話し、⼈をからかうのが好きな⽅でした。ある時、季節の変わり⽬に副⿐腔炎を起こして来局、ひどい蓄膿症を繰り返し、⻑年味覚が全くないということが分かりました。病院に⾏くことが嫌いで、なかなか受診してくれません。S男さんから、何⾷べても匂いも味が分からないので、味の想像がつくカレーしか⾷べたくないと打ち明けられました。コロナ前のことです。私は匂いが分からないと、味が分からないということに衝撃を受けました。ある冬にまたひどい蓄膿症になりました。病院嫌いのS 男さんもさすがにその時は⾟かったと⾒えて、⽿⿐科へ。プレドニンのパルス療法と抗菌剤等処⽅されていましたので、しっかり服⽤していただきました。ちょっと良くなるとすぐやめてしまうので、また薬局にきてねとお伝えしました。1週間後、ニコニコしながら匂いが少し分かる、少し味がするとやって来ました。その後も継続通院。落ち着きました。退職後は午後イチで毎⽇カラオケに出かけるのが⽇課になりました。お酒は飲まなかったようですがタバコはヘビースモーカーでした。「1⽇⼀本だけ減らすと、⼀年で365本減らせるよ︕」と私が⾔ってもニヤッとするだけで聞いているのかいないのか。令和2年12⽉、腹痛と便秘で受診。⼤腸癌が⾒つかりました。すでに⾻まで転移、癌は⼤腸を塞いでいたようです。そう⾔えば市の健康診断を勧めても全く⾏きませんでした。「オレは癌になったら治療しない、何もしない、痛み⽌めだけ貰う、余分なお⾦は使わないで⼥房に残すんだ。」といつも戯⾔のように話していました。⼿遅れでした。年が明けて令和3年1⽉、主治医と奥様がやっと説得して⼈⼯肛⾨の⼿術を受けました。退院後、⽚⽅の⼿をポケットにつっこみ、ニヤッとして薬局の前を通り過ぎる姿を2〜3回⾒かけました。コロナ感染が広がり始めカラオケにも⾏けなくなった頃、奥様が「S男が亡くなりました」と報告に来ました。発⾒から半年、66歳でした。S男さんは、⾃分の終末期を⾃分で選んだのだと思いました。カラオケ⼤好きなS男さん、どんな歌が好きだったのだろう。⼀度だけでも聴きたかったな。

お名前・ペンネーム:
みち草

題名:独居患者さんとの関わり

Kさんは現在83歳、介護施設で奥様と⼆⼈で過ごされております。奥様は2018年9⽉より介護施設⼊所、その後Kさんが奥様と同じ施設に⼊所するまでの独居⽣活2年半のお話を致します。Kさんは65歳で退職し、数年で物忘れ症状が現れ、乗って⾏った⾞をどこに⽌めたかわからなくなり、受診し認知症の薬が処⽅される様になりました。奥様が施設に⼊所してからは、1⽇3回⽋かさず⾯会しておりました。ある⽇、桶川加納インターの係りの⽅から私の薬局に連絡が⼊り、Kさんがインターを出ようとしてもお⾦を持っていないので、保護しておりますとの事でした。奥様の施設に向かうはずが何で⾼速に乗ったのか︖息⼦さんに連絡を取り、迎えに⾏って貰いました。⾼速道路を⾛ったKさんが係りの⽅に連絡先を問われ、私の薬局を⼝にした事は嬉しかったです。これをきっかけに運転免許を返納、⾞も廃⾞致しました。⾼速道路の事件を機に息⼦さんと話し、居宅療養管理指導の導⼊をし、⽉4回の訪問が始まりました。ヘルパーを週4回、宅配弁当、通所リハビリなど利⽤しての⽣活です。その後薬も飲み忘れが増え、毎⽇確認に⾏く様になりました。ストーブの上にやかんはのせてはダメと⾔い、ヘルパーも隠すのですが、翌⽇の朝、訪問するとストーブの上に御鍋がのっておりました。そんな⽮先、⽇曜⽇の夜ストーブ近くで転び、熱湯を体にかけて部分⽕傷をしました。我が家に痛い痛いと⾔って来ましたので、病院に連れて⾏きましたが、翌⽇訪問すると何も覚えておりませんでした。コロナウイルス感染症拡⼤により奥様の⾯会も断られるようになってからは、元気がなく、通所リハビリも休む様になりました。悪循環で歩けるが、⾒守りが必要となりました。⾃分でも観念し奥様と同じ施設に昨年3⽉に⼊所されました。先⽉、9ヶ⽉ぶりに施設より許可を頂き、Kさんと⾯会出来ました。⾒守りなく歩けて「俺の家はちゃんとあるだろうな。そのうちに帰るから」と⾔い、私の事も覚えて頂けて嬉しかったです。私の両親は介護する事なく亡くなりました。⼦孝⾏の両親でした。私が今出来る親孝⾏は独居の⽅で困っている⽅の⼿助けだと思っております。亡き両親もきっとそれを望んでいるに違いないからです。

お名前・ペンネーム:
もっちー

題名:プロフェッショナリズム

知り合いの訪問看護師から電話がかかってきました。「パーキンソン病の患者なんだけど、時々⾞椅⼦で出かけて、途中で倒れてしまう。そのたびに警察から呼び出され困っている。助けて欲しい。」と。患者さんは、50歳代男性、4年前にパーキンソン病を発症、発語が上⼿くできない、レボドパの効果がきれると全く動けない状態でした。薬のコントロールが上⼿くいかず⼊退院を繰り返していました。最初に伺ったとき、「私たちが薬の調整をしますからよろしくお願いします。」と伝えると、「今まで、いろんな⼈が関わったが上⼿くいかなかった。あなたたちにも無理。」と⾔われました。服⽤薬はレボドパ製剤等全部で7種、服⽤回数1⽇11回。薬のコントロールをするために、服⽤状況および効果の確認をすることにしました。11時30分から17時まで患者宅で⼀緒に過ごしました。そうすると服⽤後30分で効果が表れ、2時間半でレボドパの効果の弱まることがわかりました。本⼈と話し合い、服⽤回数を計7回とし、主治医に連絡して承諾を得ました。数⽇後、家の中で暴れ、外に出てどろんこになって訪問看護師が出動する⽻⽬になりました。⺟親や看護師は「どうしてこんなことをするの」と患者さんを責めました。しかし本⼈はきょとんとした顔をしていました。外に出てしまう理由を聞いたところ、本⼈は全く覚えていないのです。レボドパ製剤服⽤後に怒りの表情をすることがあったため、薬の量が多いと判断し薬の量を減らしました。本⼈には、動ける時間が少なくなるが、外に出て事故にあうことを防ぐために服⽤量を減らしたいと伝え納得してもらいました。それ以降は1 ⼈で外に出ることはなくなりました。ある朝、5 時に訪問したときに⽞関で倒れていました。ベッドに寝かせ看護師とバトンタッチをしました。状態が改善しないため緊急⼊院となりました。その2⽇後の17時に永眠されました。この経験は私にとって⼀⽣忘れられないものになりました。薬の効果、副作⽤のフォローアップの重要性、患者との信頼関係の構築⽅法、他職種との連携⽅法など、得るものはとても⼤きかったです。この患者には「感謝」しかありません。そしてこの症例を経験して学んだ最も⼤きなことは、「良い医療をするには患者を好きになること」です。好きな⼈には良くなって欲しいですから。そしてこれが、⾃分にとって薬剤師のプロフェッショナリズムとなりました。

お名前・ペンネーム:
しま兄

題名:私がかかりつけ薬剤師でよかったのですか︖

2018年夏、昼時間、「私に是⾮かかりつけ薬剤師になってもらいたい。」と伝⾔を残して帰っていかれたKさん(当時75歳)。咄嗟に思ったのは、なぜ、私に︖
Kさんは⽣活習慣病歴の患者さんには珍しく、採⾎結果に敏感で、少しでも上がれば⾷事や運動を⾒直して次の検査では必ず良い結果を⾒せてくれる患者さんでした。
ところが、1年経った頃「採⾎結果は良かったのですが、実は肺に影が⾒つかりました。昨年の検診の時にはなかった影です。がんセンターで診てもらうように紹介状を渡されました。」とのことでした。
がんセンターを受診した結果、「”肺がんステージ3b、肺内転移あり”この腫瘍は、レントゲン検査ではなかなか映らない場所のため今まで⾒つからなかった。既にかなり進⾏している。今後PET検査をして治療計画が決まる。」との説明を受けてこえられました。
その数⽇後から抗がん剤治療が⼊院にて始まって間もなく、「影が⼩さくなったよ。でも奥の⽅はどうなっているかわからないけどね。」と⼼配ながらも微笑んで話してくださいました。「このまま、影が⼩さくなりますように︕」と⼼の中でつぶやきました。
しかし、そんな願いもむなしく次の来局時には、「影がまた、⼤きくなってね。」と気を落とされていました。「抗がん剤の副作⽤で⾷欲もなく、体重も減ってしまった。髪の⽑もね。」と。それでも、笑顔だけは絶やさない⽅でした。
しばらくして、⾷事摂取もままならなくなり、腫瘍熱もでて「つらい」と初めて弱⾳を吐かれました。まもなく、再度⼊院治療が決まりました。「治療を終えたらまた薬局にお顔⾒せてくださいね。」の声かけに「うん。」と⾔ってくださったのが、最後となりました。奥様から、「⼊院して約3週間後に病院で亡くなりました。」と聞かされ、Kさんの優しい笑顔が浮かんできて、つい涙ぐんでしまいました。
奥様は、「皆様のお⼒添えがありましたから、難しい病に⽴ち向かうことができました。」とおっしゃってくださいましたが、⼊退院のつなぎも満⾜にできないまま、私はKさんに対して”お⼒添え”って何ができたのだろうか︖かかりつけ薬剤師になってあっという間の1年半、その責務を果たせたのだろうか。今も⾃問⾃答の⽇々です。
私がかかりつけ薬剤師で本当によかったのでですか︖

お名前・ペンネーム:
⼩平 幸恵

題名:鈍感

もう10年ほど前になるだろうか。Mさんは調剤が遅いとよく怒った。
ある時、おなかが痛いと薬局を訪ねてきた。僕は薬を選んで販売した。服⽤後しばらくしておなかの痛みは改善したそうだ。それからは薬局でクレームを⾔わなくなった。薬剤師は困ったことを解決してくれる存在と分かったようだ。Mさんは独居で肺がんだった。
ある時、Mさんから電話を受け薬の整理をするために訪問した。Mさんは肺がんが脳転移したことが分かり放射線治療のために来週の⽉曜から⼊院することになっていた。薬の整理の最中「今⽇、⼀緒に飲みに⾏ってくれないか︖」とMさんが僕に向かって⾔った。僕は薬の整理をしながらMさんの顔は⾒ずに考えた。患者と飲みに⾏くのはさすがにまずくないか︖悩んだ末に「僕この後、勉強会で。」と⾔い訳をした。すると「俺には今⽇しか時間が無いんだ。」と、⼊院までの時間とも、⽣きる時間ともとれることを⾔われ私はさらに悩んだ。結局押し切られる形でMさん⾏きつけのスナックへ。
⼊り⼝を⼊るとスナックの常連さんが寄ってきた。すると、Mさんが開⼝⼀番「おい、お前ら︕この⽅は俺にとって恩⼈の先⽣なんだ。無礼なことをするなよ。」まだ若かった僕には先⽣という⾔葉が恥ずかしくもあり嬉しくもあった。
そのあと、2⼈で並びカウンターで飲んだ。少ししてMさんはトイレに⽴った。⼀⼈になった私にスナックのママが話しかけてきた。「ねえ、あなたよっぽどM さんに気に⼊られているのね。Mさんがこんなに上機嫌なのは2回⽬。1回⽬は息⼦とそのお嫁さんと来た時。そして今⽇が2回⽬。」今⽇は⾦曜⽇。3⽇後にはMさんは⼊院する。
それから1か⽉―。Mさんは病棟から携帯で電話をしてきた。「医者の⾔っていることが信⽤できなくなった。あんたが病院に来て今の治療を説明してくれよ。」―医者と患者の関係性が損なわれたら治療に⽀障が出る―間に⼊るのは控えよう―「治療の事が分からなければ、先⽣に聞き返して納得して治療を受けた⽅が良いです。」「そうか。わかった。」電話越しの声からはMさんの感情は感じ取れなかった。そしてMさんからの電話はそれが最後だった。
あの時、知⼈として病院に会いに⾏けばよかった。⾃惚れかもしれないけど、あの時僕にお⾒舞いに来てほしかったのかな︖きっとそうだったんだよな。鈍感でごめんねMさん。

お名前・ペンネーム:
K

題名:This is かかりつけ薬剤師

これは当薬局の近所に住んでらっしゃるご夫婦との物語です。その夫婦はたまたま⾃店舗に何かOTCの便秘薬が無いか相談されました。その時は酸化マグネシウム便秘薬を購⼊されましたが、「今後は近くの医院(⾨前の医療機関)で薬を貰います」とお話しされました。また、その時、「これからこちらの薬局を利⽤しようと思います」とも⾔われました。果たして、その後、ご夫婦は⾨前医療機関以外にも、総合病院の処⽅箋や、近くの⽪膚科の処⽅箋を定期的に持って⾒えられました。⾃宅近くの調剤薬局だから便利だと思われたのでしょうが、思い切ってそのご夫婦にかかりつけ薬剤師について説明し、最終的にお⼆⼈とも同意を得ることができました。その後もご夫婦で定期的にいろいろな医療機関の処⽅箋を持って⾒えられ、かかりつけ薬剤師として認識・信頼されているのだと実感しました。まさに「This is かかりつけ薬剤師」ではないでしょうか。
ある⽇、ご主⼈が「腕や背中が痛む」と訴えており、⾨前医療機関から総合病院を紹介され、⼤学病院で検査をした結果、末期の肺癌、多発性⾻転移が⾒られたとのことでした。当時、無治療であれば予後1年以内とご家族に告知があったようです。その後いろいろな病院での転院を経て、2022年9⽉に在宅療養を開始することになりました。この時の在宅の担当薬剤師が私でした。ご⾃宅を訪問し、ご本⼈様の体調のチェック、また在宅医との連携を密に⾏い、2ヶ⽉が過ぎました。最期は⿇薬や鎮静剤の座薬(アンペック、ブロマゼパム)を使いつつ、穏やかに亡くなられたそうです。患者様の最後まで携わることができ、かかりつけ薬剤師冥利に尽きた瞬間でした。
その後奥様は引き続き、いろいろな医療機関の処⽅箋を持参されています。かかりつけ薬剤師として定着していると思いますが、なにより信頼関係が構築されているのではないかと思います。⼀時期⼤⼿調剤薬局でかかりつけ薬剤師指導料の無秩序な算定が問題視されましたが、その⼿⼝をここで批判するわけではなく、「This is かかりつけ薬剤師」を全うできたことをお伝えしたく、今回の企画に参加いたしました。本来であれば、スライド等を作って発表することがよいのでしょうが、何分プレゼンテーションが苦⼿なため、⽂書にてお伝えさせていただきます。

お名前・ペンネーム:
⻑池 司

題名:かかりつけ薬剤師制度︕私を成⻑させてくれてありがとう︕

かかりつけ薬剤師制度が始まり、⼀⼈⽬は、⽬が不⾃由な糖尿病患者を担当した。複数の科から薬が出ていたので、合わせて⼀包化して、⼀包化できない部分はヒートで管理。⽤法が読めるように薬袋に⾚太マジックで⼤きく書き直し、そんなことしかできていなかった。
⼆⼈⽬の患者も、透析、乳がん、他、複数の科にかかり合わせて⼀包化。かかりつけになってからは、薬学⽣の投薬相⼿になっていただいたりで、患者⾃⾝も以前よりも笑顔や元気が出てきたなと思っていた⽮先、抗⽣剤を服⽤したあたりからCD腸炎になり、あっけなく亡くなってしまった。私は、「かかりつけ薬剤師としてもっとできることは無かったのか︖副作⽤歴の⾒逃しは無かったか︖疾患についての勉強はまだまだだ。」と、悔やんだ。ここから私のかかりつけ姿勢はアップする。
三⼈⽬の患者は、昔から顔なじみだったのだが、かかりつけとなった以降は、こちらの姿勢は全然違う。「こんどこそ、悔いが残らないよう勉強して最善を尽くす。」過去の薬歴を全てチェックし病歴を把握した。甲状腺機能亢進症の再発とリウマチが主な疾患で、甲状腺機能亢進症では、チアマゾールとレボチロキシンを服⽤していたのだが、医師に「6か⽉数値が安定していたら薬を⽌める予定」と⾔われ、「やめたら、また再発してイライラするのでは︖」と不安そうに話された。そこで私は「数値をグラフ化して患者に⾒てもらい、少しでも不安を取り除いてもらおう。」と考えた。過去受診の都度⾒せてもらっていたTSH、T4、T3を折れ線グラフにすると経時変化が⼀⽬瞭然。現在、薬をやめて4か⽉⽬だが正常範囲内を維持できており、不安も取り除けていると思う。また、リウマチの「メトトレキサートの服⽤12時間毎に3回をたまに飲み忘れてしまう。」と⾔われたときも、⾎沈、リウマトイド因⼦、MMPー3をグラフ可して⾒せた。その甲斐あってか︖数値は少しだが、なだらかに下がっているようだ。ここまで介⼊できるのも、かかりつけならではだ。
現在は5⼈のかかりつけ患者と、抗がん剤の薬薬連携でフォローしている患者が数名、他にも徐々に増えてきて、「今⽇は〇〇さんか来る⽇だな。」と毎⽇の業務にも張りが出る。⼿をかけた分だけ感謝の⾔葉がもらえ、疲れも吹き⾶ぶ。⼀⼈⼀⼈に⼿を抜けないので、無限には増やせないが、更に成⻑して患者に還元できるように、少しずつ増やしていきたい。

お名前・ペンネーム:
⽯原 直⼦

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© 2023- 第57回日本薬剤師会学術大会.